大雲寺の境内

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平成5年(1993年)2月、33世願譽諦雄上人代、大雲寺責任役員、総代、世話人一同により建設準備委員会を発足。翌平成6年(1994年)1月建設委員会を結成し、同年12月旧本堂を解体、平成7年(1995年)1月より工事着工し、平成8年(1996年)5月近代的な二層建造物として完成をみる。
 6月2日大本山増上寺並びに栃木教区の役員ご来席の元、落成慶讃法要が営まれた。

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釈迦三尊像.jpg釈迦三尊像.jpg

阿弥陀如来像

浄土宗は元来、弥陀三尊をお祭りし中央に阿弥陀如来、向かって右側に観音菩薩、左方に勢至菩薩を脇仏として配します。
 阿弥陀如来は西方にある極楽浄土を主宰する仏で、大願(四十八願)を立てられ、あまねく衆生を救済するという。大願を形に表したのが頭光から発する48本の金色の光である。それは「観無量寿経」の「光明遍照十方世界」そのものである。

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善導大師像

善導大師は中国唐時代の僧で「浄土三部経」の一つである「観無量寿経」について古今の説を批判して、正しい手本としての解釈を確定する「観無量寿経」4巻を著し、浄土教の称名念仏の思想・信仰を大成した。その思想と実践が後世、法然坊源空による浄土宗成立に大きな影響を与えた。

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法然坊源空像

浄土宗の元祖である法然上人は、長承2年(1133年)美作国久米南条稲岡庄(岡山県北東部)に生まれた。15歳で比叡山に登り剃髪受戒した。43歳の春、唐の善導の著作に惹かれ、みずからの思想と行動の規範とし、口称名号の浄土宗を開創する決心を固めて比叡山を下り、一般庶民に説法を行った。ために、旧仏教から嫉視され、たびたび念仏停止の上奏が行われた。法統は浄土宗の他、浄土宗西山派、浄土真宗、時宗に受け継がれている。

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祐天上人真筆名号版木

本体の高さ46センチの祐天上人の真筆になる「南無阿弥陀仏」の六文字名号版木である。祐天上人は官営4年(1699年)陸奥国新倉に生まれた。号は明蓮社顕譽。将軍綱吉及び生母桂昌院の帰依を受け、度々江戸城に召されている。念仏布教に専念し、多くの人に名号(南無阿弥陀仏)を授与し生き仏として尊敬された。当山の版木も墨の跡が良く残ることから、多くの人にこの「名号」が授与されたことであろう。

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名号板碑と朱印状

板碑形をした石碑がそれで、正面に「南無阿弥陀仏」の名号を刻む。向かって左側面には「歸命無量寿覚 願蓮社笈誓善救和尚 慶安四卯年林鐘十五日 施主敬白」右側面に「歸命無量寿覚 龍王山中興開山道蓮社白譽萬廓」。そして裏面には、徳川三代将軍家光から大雲寺に対する寺領(朱印地)15石余の安堵、及び年貢・賦役などを免除する「朱印状」の写しが刻み込まれている。

下野国安蘇郡小屋町大雲寺領 同所之内 拾五石余事、任先規寄附之訖、全可収納
井寺中竹木諸役等免除、如有未永不有相違者也
慶安二年八月十四日 家光 とある。

これにより当山が、これにより慶安2年(1649年)に将軍家光が朱印状を授与されたことがわかる。しかも「先規に任せ」とあることから、当初の朱印状は、徳川家康又は秀忠唐授与されたと思われる。

徳川幕府は由緒ある格式の高い寺院に対し、将軍の代替わりごとに朱印状を交付していた。寺社では漆塗りの箱に保管して大切に取り扱っていたが、明治維新後、明治政府はこの朱印状を回収し廃棄処分にした。本寺にも空箱のみが残ることになったのである。

ぼけふうじ観音.jpgぼけ封じ観音像

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ぼけ封じ観音と動物地蔵

現代社会のニーズに合わせ平成元年(1989年)に「佐野ぼけ封じ観音菩薩」を建立。

また、平成4年(1992年)には動物地蔵を建立。


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今年も桜の花がきれいに咲きました。

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